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器用貧乏

お魚天国の続きである

あなたは何でも出来ますね、と人に言われることがある。褒められて嬉しくないわけはないが、いい気分になってもいけない。一つの理由は、何でも出来るというのが事実でないからだ。カネ稼ぎ、好きになれない連中と付き合い続ける法、おネエちゃんの口説き方(実はカネ稼ぎと同じだったりする)を私は知らない。

絵は描けないし編み物も出来ない。狩りはやったことが無く、溶接も出来ずにロウ付け止まりだ。人は全ての技を身につけることは出来ない。しかしそれは当然であって、何も嘆くには及ばない。より大きなもう一つの問題は、それでもあれこれ出来てしまう器用貧乏にある。

万能を不可とする前提では、人は人から何かを得る、その技能を持たねばならないからだ。器用貧乏は所詮貧乏だからで、迫られてそうなった一つの結果に過ぎない。カネで解決のつくことは、やはりカネで解決するものだ。従って人間の最も身につけるべき技能、カネと人の得方、これが私には欠けている。

ここに一つの例がある。およそ2300年前の中国に、趙奢(ちょうしゃ)という人がいた。税務署の小役人だった彼は、趙国一の権勢家宅に乗り込んで、脱税を取り立て執事を縛り首にした。怒った権勢家は彼を殺そうとしたが、逆に説かれてすっかり参ってしまう。これで王に推薦された彼は、国税長官に就任する。

そこへ、西方の軍事大国秦が攻めてきた。

映画「HERO」より
その防戦に、歴戦の勇将も尻込みする。やむなくお前どうだと問う王に、趙奢は将軍職を引き受けて出陣した。全軍には、作戦に口を出すな、出したら死刑と触れを出す。ただの文官だが縛り首の経緯がある、皆恐れて口出ししなかった。

それでも一人だけ禁を破った将校は、早速首をはねられる。全軍ますます黙って進む。進めばやがて秦軍が見えるようになった。その勢いはさすがにすさまじい。それ見て趙奢は塹壕を掘れと言う。全軍黙々と土方仕事に精を出すが、これで秦軍を防げるわけはない。百戦錬磨の将校にはそれが分かる。

じれた別の一将校が、ついに口を出す。死罪はわかっとりますが防戦の仕方はこう、特にあの山を占拠せねば負けますと言う。素人の上官に対する、玄人の死を決した進言だった。趙奢はそれに従い、勝ちに勝った。これでしばらく、秦軍は攻めてこれない。件の将校は参謀総長に任じられた。

これが、閼与(あつよ)の戦い、と言われる戦いの顛末だ。無論、趙奢とて勝利に何も貢献していないわけではない。全軍を引き締め従わせたし、秦軍の間者をだまくらかしてもいる。要するに人間操作の方法には長けていた。そこへ、自分に欠けた技能を補う人材を見極める、その方法も知っていたわけだ。
戦国七雄

技能の身につけ様、本当に望ましいのはこういうことだ。何でもかんでも手を出せば、中途半端に終わってしまう。中途半端だけに専門家に意見されれば、エゴがむき出しになって聞き入れない。これではますますバカになる。何でも知っていそうでその実何ンにも出来ない者が、世間に珍しくないのはこのためだ。

キリスト教世界一の賢明な愚人、とクロムウェルがチャールズ王を評した例もある。中途半端な自信は手に負えない。私は趙奢にもクロムウェルにもなりたくないし、またなれもしないが、バカになるのは御免こうむる。器用貧乏の嬉しくない理由はかくのごとし。ただし、器用は自ら楽しくはある。難しいところだ。

なお、その中途半端なバカの例が、趙奢の息子趙括(ちょうかつ)だ。何でも出来ると思い上がり、それが災いとなって尾を引き、結局趙国は滅ぼされた。以上歴史に三つも例がある。三次元空間に住む生物として、時間をずらした三つの例は重んじざるを得ない。楽しんでいる場合では、ないかもしれない。
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九去堂

Author:九去堂
乗騎と、美酒と、かくもロクでもないこの運命を讃えて


九去堂(きゅうきょどう)、またの名を他莫阿弥(たもあみ)、逐電齋、不羈庵(ふきあん)。賭場往来人、ケロ教徒、大学院デビューの不良。天涯孤独にしてあるじを持たず。よく酒を飲み、煙をふかし、馬に騎り、わずかに稼ぐ。世になきものはこの手で作るべしと思へり。晴読雨読、時に刀槍を振るう。振らば稽古なりとも、仇なさぬに得物を当てるを嫌う。死後に世無く、生前も無し。バクチを嫌い仏法を好むラララ科学の子なれば、神無くまた唯物の誤りをも知る。

人知らずして憂いなし。

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